壁から一歩離れて立ち、「お疲れさまです」を一度、顔を正面へ向けて言ってみてください。次に、ほかは変えず、両足のつま先を壁と平行にそろえたまま同じ言葉を言ってみてください。一度目と二度目で、口の前の空気がどちらの方向へ流れやすいかを、手のひらで比べてみてください。二度目に空気が前へ散らずに保たれるなら、声が通る違いは音量ではなくエネルギーの向きにあります。差が出なければ、通りにくさの原因は別の原因にあります。
声の通りは向きで変わる
声が小さい人と声が通る人の違いを、肺活量や生まれつきの音量だけで説明すると、改善できる部分を見落とします。同じ程度の声量でも、聞き手へまっすぐ届く声と、話した本人の周囲で散ってしまう声があります。この違いは、音のエネルギーがどこへ向いているかで生まれます。ここでいう向きは、気持ちの強さや相手を思う気持ちではありません。顔、首、胸、口の出口、息の流れが、同じ方向を向いているかという物理的な条件です。身体が横を向き、顔だけを相手へ向けると、口は前でも呼気の支えが横へ逃げやすくなります。
声を通そうとして大きく出すと、エネルギーの向きが散ったまま量だけが増えることがあります。その場合、近くの人には強く、少し離れた人には輪郭が届かないということが起こります。必要なのは、声を前へ投げるような激しい動きではありません。足元から顔までの向きをそろえ、口から出る音が一つの方向へ進む道を作ることです。私がこの場面でまず確認したいのは、発声中に首だけが相手へ伸び、胸や足先が別の方向へ残っていないかです。通る声は声帯だけで作られません。身体の各部が同じ向きに並び、音のエネルギーが横へ漏れにくいことで、必要な量のまま相手の位置まで届きやすくなります。
足先が作る最初の方向
エネルギーの向きを整えるとき、顔や口だけを操作しても、すぐに元の癖へ戻りやすくなります。身体の向きの土台は足元です。立って話す場面では、足先が相手から大きく外れていると、骨盤と胸が横を向き、声だけを首で前へ送ろうとします。これでは首の前側が固くなり、息が上へ抜けたり、横へ漏れたりします。相手へ声を届けたいときは、両足のつま先を相手の方向へおおよそそろえます。正確に一直線である必要はありませんが、片方だけが大きく外れないことが大切です。
試すときは、足先の向きだけを変えます。一度目は普段どおり、二度目は両足のつま先を正面にそろえ、「こちらをご確認ください」と言います。顔の向き、声量、語速は変えません。口の前に手を置き、息が左右どちらかへ逃げる感覚が減るかを確かめます。足先をそろえると、声が急に大きくなるわけではありません。けれども、音の出口に対して下半身の支えがそろうため、同じ息が前へ進みやすくなります。足を強く踏みしめる必要はありません。足裏全体が床に触れ、ひざが固まらない状態を作ります。通る声の第一歩は、胸を張ることより、立つ方向を決めることです。足元が決まれば、口の出口も前へそろえやすくなります。
顔だけで届けようとしない
相手が少し遠いと、顔を前へ突き出したり、あごを上げたりして声を届けようとすることがあります。顔だけが前へ出ると、首の後ろが縮み、喉の周囲が固くなりやすくなります。その結果、声量を増やしたのに、音が前へ進まず、上に抜けることがあります。向きを作るのは顔の移動ではなく、首を胴体の上に保ったまま、胸の正面と口の正面をそろえることです。壁に向かって立ち、後頭部を壁へ押しつけず、背中だけが軽く壁に触れる位置で短い文を言うと、首を前へ出さずに口の出口を前へ向ける感覚を得やすくなります。
「本日は以上です」と言う際、あごの下に人さし指をそっと当てます。一度目は普段どおり、二度目は指が前へ押されないようにして同じ文を言います。変えるのは首の前への移動だけです。二度目に息が手のひらへまっすぐ当たりやすいなら、顔の突き出しがエネルギーを散らしていました。あごを強く引く必要はありません。引きすぎると舌の動きが狭まり、別の聞き取りにくさが出ます。首を固定するのではなく、胴体から離して前へ送らないことが条件です。声が通る人は、顔だけで音を押し出すのではなく、全身の正面の延長に口がある状態を保っています。首を伸ばさず届く位置を、身体全体で作ります。
口の出口を相手の高さへ向ける
音のエネルギーは、口から出たあとに方向を持ちます。床へ向けて話す、天井へ向けて話す、相手の肩より横へ向けて話すと、同じ声量でも届き方が変わります。相手を見つめ続ける必要はありませんが、文の要点を述べるときは、口の正面を相手の顔の高さへ向けます。座っている相手に立って話すなら、あごだけを下げるのではなく、上半身をわずかに相手側へ向けます。逆に立っている相手へ座って話すなら、首だけを反らさず、背中を椅子から少し離して正面を作ります。方向は視線だけで決まらないため、口の出口を基準にします。
練習では、壁の高さに小さな印を一つ決めます。一度目は印より少し下へ口を向けて「確認をお願いします」と言い、二度目は口の正面を印へ向けて同じ文を言います。声量と足元は変えません。口の前にかざした手で、息が下へ落ちるか前へ進むかを比べます。印は狙いを定める物理的な目標であり、壁へ声を当てるためのものではありません。口を大きく開ける必要もありません。母音の出口が相手側へ向き、子音の動きが横へ逃げなければ、音は小さくても輪郭を保ちます。通る声とは、相手の方向に音の道をつくった声です。視線だけでなく、口の正面も同じ高さへそろえます。
息を前へ押し出しすぎない
エネルギーの向きを前へそろえると言うと、息を勢いよく前へ吹き出すことを想像するかもしれません。しかし、強い呼気は音を荒くし、語頭だけが目立ち、文の後半で支えがなくなります。向きと勢いは別の要素です。必要なのは、少量の息が途中で横や上へ逃げず、口の正面からまっすぐ進むことです。細い紙片を口の前に軽く持ち、「おはようございます」と言ってみます。紙を大きく揺らすのではなく、文の最初から終わりまで、紙が一方向へ小さく動くかを見ます。紙が激しく揺れるなら、息を増やしすぎています。
息を前へ向けるときは、唇を強くすぼめないことも大切です。唇を突き出して出口を狭くすると、空気は速くなりますが、言葉の母音がこもることがあります。上と下の唇を軽く離し、あごを少し動かせる状態で、紙片が前へ揺れる程度の流れを保ちます。一文の途中で紙の動きが横へ振れるなら、顔が横を向いた、肩が片方へ上がった、足元の体重が移ったなどの変化を確認します。私がこの場面でまず確認したいのは、息の量が足りないかではなく、少ない息がどこで曲がったかです。通りにくさは、出力不足より方向の分散から生じるということが起こります。前へ向く量を増やす前に、横へ漏れる道を減らします。
横にいる相手へは身体ごと向きを変える
複数人で話すとき、右や左にいる相手へ言葉を届けるために、目だけを動かしたり、首だけを回したりしがちです。これでは声のエネルギーが正面のまま残るか、首の動きで乱れます。横にいる相手へ話すときは、足先、骨盤、胸、顔の順に身体ごと少し向きを変えます。大きく回転する必要はありません。相手の位置へ足先をわずかに寄せ、胸の正面が追いつけば、口の出口も自然にその方向を向きます。声を張り上げなくても、その人の位置に届く道ができます。
椅子に座っている場合は、腰だけをねじらず、両足のつま先を相手側へ少し動かします。次に座面の上で骨盤を向け、最後に顔を向けます。この順序で「ご意見をお願いします」と言うと、首に頼らずに方向を変えられます。声が小さいと感じる人ほど、正面にいる人へ話した大きさをそのまま保ち、身体の向きだけを変える方が効果的です。横の相手だからと声量を急に上げると、近くの人には強すぎる場合があります。聞こえ方の差は、量を変える前に向きを変えることで小さくできます。エネルギーの向きを扱うとは、話す相手が変わるたびに、身体の正面を新しい相手へ渡すことです。声量の変更は、その後に必要な場合だけ選びます。
小さくても届く基準を持つ
声を通す目標を「大きな声を出せること」にすると、身体の緊張が増えやすくなります。基準を「同じ文を、同じ大きさのまま、相手の方向へ置けること」に変えると、扱うべき動きが明確になります。足先が相手へ向く、首が前へ出ない、口の出口が相手の高さを向く、息が一方向へ小さく流れる。この四つがそろえば、音量を増やさなくても、声は散りにくくなります。全てを一度に確認する必要はありません。ある日は足先だけ、別の日は口の出口だけというように、一つずつ扱います。
喉の痛みや声枯れが続く場合は、通そうとして呼気を強く増やすのをやめ、耳鼻咽喉科を受診してください。声が小さいことと声が通らないことは同じではありません。声量を変える前に、音のエネルギーがどこへ向いているかを整えると、静かな声にも届く方向が生まれます。相手へ近づく、肩を張る、喉を押すといった大きな操作に頼らず、身体の正面と口の出口をそろえることから始めてください。音が前へ進む道ができれば、声の大きさを増やさなくても、言葉の輪郭と存在感を両立できます。
向きの調整は、発声の時間だけでなく、日常の短い発話で定着させられます。朝の挨拶では、相手の位置へ足先を向けてから一言を出します。会議では、話し始める前に最も遠い一人を確認し、口の出口をその高さへ向けます。横から質問を受けたときは、首だけを回さず、椅子の足先と骨盤を少し動かします。どの場面でも、声量を試しに上げる必要はありません。向きを整えた後の、いつもの大きさを使います。
この積み重ねにより、声を出すたびに頑張って届ける必要が減ります。通る人と通りにくい人の差を、性格の外向性や声帯の強さに結びつける必要はありません。音が出る前から、身体の正面が相手へ向いているかを確認すれば、改善できる要素が見つかります。声が散ったと感じたときは、次の一文で音量を足す前に、足、胸、口のうち一つを相手へ向け直します。方向が戻れば、エネルギーは必要な場所へ集まります。小さな声であっても、向きが定まっている声は、聞き手に届くための筋道を持っています。
よくある質問
- Q. 声が小さいことと、声が通らないことは同じ意味ですか?
- 同じではありません。声量が控えめでも、息のスピードと閉鎖の加減が合えば言葉は届きます。私は大声を求める前に、声の前へ進む感覚があるかを分けて見直します。
- Q. 自分では普通に話しているのに聞き返されるのは、声量不足ですか?
- 声量だけが原因とは限りません。語尾で息が抜ける、子音が曖昧になる、声が後ろへ引っ込むといったことでも起こります。私は一語目より、文末まで息の流れが残っているかを確認します。
- Q. 通る声を出そうとして響きを強く意識すると、苦しくなります。どう考えればよいですか?
- 響きを足そうとして喉を締めると、かえって言葉の通り道が狭くなります。私は響きを作るより先に、息を前へ進め、声帯閉鎖を締め過ぎない位置に戻すことを考えます。
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ボイストレーナー。Snow Man、NiziUなど多くの楽曲を手がける作曲家・前迫潤哉氏が主宰するLEVETCH VOCAL SCHOOLにて、ボーカル指導の代表を務める。 何千レッスンもの現場で、歌手・社会人・表現者の声と向き合ってきました。
詳しいプロフィール →声が小さい・通らない人へ。大きい声を出さずに改善する方法
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